タグ別アーカイブ: 模倣

⑮〈模倣〉

ジャンル
「横尾さんは1980年ごろ、確信犯で脱デザインの表現をやっていて、カッコ良かった。何で当時みんなこの方向にいかなかったのか不思議だ」
「ピカビアをはじめ、DADAによるタイポグラフィーに強く惹かれた。ADC年鑑、TDC年鑑の表紙はその影響がある」
「葛西さんのモルツの手描きの広告からも影響を受けている」(服部)
デビッド・ホックニー、横尾忠則、葛西薫、テリー湯村、ピカビアなどが服部が参考にするモチーフだ。もはやジャンル化されたと言っても過言でないラインナップだろう。ジャンル化されるにはそうなり得る理由がある。服部が注視するのはその理由だろう。強度、完成度、独自性、普遍性、汎用性……。自分がなぜその〈形態〉に惹かれるのか? それはどう成立しているか?
エステティックな面ではなく、DADAやコラージュといったジャンルのごとの〈形態〉を掴みとろうとしているのだとすれば、それはパクリであるはずもなく、そもそもジャンルはパクれない。

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『JEAN-MARC BUSTAMANTE』(横浜芸術館/2002) NY DADA時代のピカビアを参考にしているという

④〈模倣〉

理解
多くの模倣はアイデアの盗用として表出する。単純にいえば、「見た目」が似ているというものだ。しかし「理解」の模倣は聞いたことがないし、「理解」は模倣できないものではないか。すくなくとも「見た目」のように技術的に模倣できるものではないだろう。
W+K Tokyoは徹底したリサーチ&プランニングを通じて、〝ブランド・ボイス〟を導き出す。そのプロセスで得た「理解」を、ワークフローの全行程の基盤に置いて浸透させる。アウトプットにおのずと、その「理解」があらわれる。
 W+Kのオリジナリティは「理解」にあるのではないか。この製作フローなくして、W+K独自のコンセプト、アイデア、デザインは生まれない。
製作物が既存のものと似ていると気づいた時点で、W+Kは即座にそれを却下するそうだ。世界各国のデザイン・広告コンペの審査員をつとめる上層部がチェック機能を負うとともに、システムとして自立性の高いW+Kは、フロー中途の路線変更のリスクを厭わずにいられる。パクリを生んでしまうことのほうがリスクだ、そう長谷川は言った。

②〈模倣〉

『Sunflower』 Daido Moriyama(bookshopM/2011年)
『Sunflower』 Daido Moriyama(bookshopM/2011年)
『Wild Flowers』Joel Meyerowitz(New York Graphic Society Books / Little, Brown and Company/1983年)

『Sunflower』と『Wild Flowers』
町口の「写真集ベスト3」に、『Wild Flowers』Joel Meyerowitz(New York Graphic Society Books / Little, Brown and Company/1983年)が確実に入ると言う。『Sunflower』はそれの模倣だと町口が明かした。『Sunflower』の写真点数が64枚で構成されていは、『Wild Flowers』の63枚を上回りたかったからだそうだ。町口は「写真集を形作る要素の中で「写真点数が最も重要」だと考える。
しかしながら『Sunflower』は、『Wild Flowers』とは、写真/判型/構成、その何もかもが異なる別物として仕上がった。出版年の83年から現在に至るまで、毎晩、枕元に置かれ続けた(に等しい)『Wild Flowers』は、そう言ってかまわなければ町口のモノだ。写真集を「写真の集合」ではなく「写真集という物体」として捉える町口は、Wild Flowers読者のベスト3に入るだろう。仮に『Sunflower』に模倣と言える要素があったとしても、もはやそれは、町口の夢に出るほどの原風景から参照されたものであり、一般的にはオマージュと呼ばれるものではないだろうか。
『Wild Flowers』に限らず、「ブックショップM」の写真集の作りはすべて欧米の写真集から着想されている。初めてのオナニーがヘルムートニュートンだったという町口は「世界の名書」をリアルタイムに体験することを積み重ねてきた。それが、町口覚のリソースのすべてだと言っても過言ではない。「世界の名書」で育ち「世界の名書」を着想して本を作っているのだ。たまたま見かけた洋書を模倣するのとはまったく異なる作り方だろう。