図形としての写真
服部は写真を撮る。
「一時期、カメラは一つの画材だった」
「写真のアンコントローラブルな要因が無意識な〈形態=ゲシュタルト〉をアシストしてくれる」
「PCでも、モニタにたまたま現れた予期せぬフォルムからデザインが生まれることがある。むちゃむちゃな線を引いたりもする」(服部)
文字を図形のように扱うのと同じように、写真も図形として扱っていることが伺える話だ。さらに言えば、文字、写真、図形、の境界が溶けあっているようにも感じる。
服部がグラフィックエレメントとしての写真をどのように扱っているのかを、この勉強会の資料から読み取ってみる。
以下、大きく4つに分類してみた。
『CREAM』(Cream magazine/2005)
1)デザインとしての写真
『CREAM』のマクドナルド、コカ・コーラ、スヌーピー、スターウォーズは、写真単体でデザインが完結している。カメラ=画材のわかりやすい例だ。紙面やモニタでデザインするのではなく、撮影段階から明快な誌面イメージがある。ファインダ越しでデザインを行うこの方法自体は、服部の専売特許というわけではない。特出すべきは、紙面デザインとファインダー越しのデザインが、ほぼ同等の感覚で操られているところだろう。
『BETWEEN A AND B』服部一成(Hattori Kazunari Inc./2002
2)図形としての写真
『BETWEEN A AND B』に掲載された写真はすべて服部の撮影によるものだ。『CREAM』も服部の撮影だが、『BETWEEN A AND B』はデザインとしてでなく写真素材として撮影されている。
『ドイツ現代写真展』ポスターに使われたトーマス・デマンドの写真は、もちろん「写真」として扱われているが、同時に「図形」としても扱われている。シンプルに置かれたタイポグラフィー/写真/余白といったエレメントが押し引きするような関係で置かれ、写真としての役割もちゃんと果たしている。一般的に言われる「写真をいかす」とは根本的に異なる写真の扱いがあるように見える。
『流行通信』(INFAS/2002)の瀧本幹也
『真夜中』(Littlemore/2008)
3)スタイリスト服部の写真
『真夜中』高橋恭司の「SF」、『流行通信』瀧本幹也の「化粧品」。これらの物撮り写真の被写体配置は服部の手によるものだ。服部のグラフィックエレメントを置くようなデザインを、撮影という印刷方法に置き換えて再現しているようにも見える。服部の「配置力」が効果的に発揮される方法だ。
右)『Circulation』中平卓馬(OSIRIS/2012) 左『EVER AFTER』楢橋朝子(OSIRIS/2013)
4)写真としての写真
中平卓馬、楢橋朝子など写真集につかわれる写真は、さすがに「写真」として扱われている(1〜3がまったく写真として扱われていないということではない)。