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形態

⑪〈形態〉


『Graphic Traial』「旗のポスター」(凸版印刷株式会社/2007)

アミ点のグラフィック化
「印刷の限界にトライする」ことをコンセプトとする凸版『Graphic Traial』。このイベントに参加するデザイナーは、100度刷りや超特殊インク、あげくにカレー粉印刷などといった、一般的にはありえない印刷方法を選ぶことが多いという。服部はここでも特別な工法を避け、最も一般的な「通常プロセス4C印刷」を選択する。(この企画で通常4Cはさすがに凸版に申し訳けないという服部の心遣いから、特色銀が加えられ5色刷りとなっている)
ここでも服部の「アタリ感」が大きな役割を果たしたのではないだろうか。「印刷の限界」というコンセプトに、あえて通常プロセスを選択してしまったことの責任を、服部は制作過程の中で意識したはずだ。最終的には「特殊印刷に負けない通常プロセス」というコンセプトに置き換わっていたのかもしれない。
「旗のポスター」で表出したアミ点のグラフィックは、服部自身「キタ!」〈形態〉だったという。
印刷の原点とも言えるアミ点のグラフィック化。隣接しあう色と角度が異なるストライプ。あまりにプリミティブな旗のフォルム。マテリアルとグラフィックの混血……。見たママに言葉にしてみたが、この〈形態〉の説明にはならない。「小学生にこのポスターの良さを説明しろ」と言われたらお手上げだ。
服部はエレメントをナマの状態で置く。エレメントが元々持ち合わせている重量や濃度や熱が、ナマのまま放たれる。他の服部グラフィックにおいてこのナマさは、文字、図形、図版、空間、にほどよく分配され、あるバランスが保たれているが「旗のポスター」では分配がなされていない。重量や濃度や熱が一緒くたに誌面に押し込められ押し寄せてくる。
服部、松本は、メインタグ〈形態〉の資料に、最も読み解きにくい「旗のポスター」を迷わず選んだ。

⑫〈形態〉


『Kazunari Hattori at Gallery 5610』「ケーキのポスター」(Gallery 5610/2007)

ゲシュタルト崩壊グラフィック
「既存のグラフィックから逃れられているか?」を意識し続ける服部。最初は、ライトパブリシティのグラフィックから逃れようとしただろう。次に、時々の時代のグラフィックから逃れようとし、今は〈形態=有り様〉そのものから逃れようとしているのではないだろうか。
服部の強引とも言える配置は、テキスト、タイポグラフィー、写真、図形、それぞれのエレメントが本来持つ〈形態=有り様〉を奪う。〈形態=有り様〉を失ったエレメントは、置かれた位置、大きさ、他のエレメントとの関係などによって新たな〈形態=あり様〉を与えられる。
形態が崩壊し別の意味が与えられる。これを「ゲシュタルト崩壊グラフィック」と名付けた。
以下に、中平卓馬写真のゲシュタルト崩壊について書かれた論考の一部を抜粋した。同じとは言わないが、服部の「ゲシュタルト崩壊グラフィック」に当てはめて読むとおもしろい。

「事物が事物としてそこにありながら、全体性が解体され、部分が断片に変容し、意味が失効していくような瞬間を待っている。(中略)知らないもの。得体の知れないもの。つんとして、ごろりとして、どかんと、ぐしゃりと、ひゅっと、ある。(中略)たしかに壊れゆく感覚があるが、退廃的な悦びはない。野蛮に快活である。意味は後退するが事物はそこにあり、むしろ迫りだす。事物たちが暴力的なまでに潜在させていた姿をさらして、迫り出す。名前は聞こえないが無音でなく、むしろうるさい。音と認めていなかったものが一斉にざわめいて、うるさい。関係は希薄になるが心細くなく、むしろ興奮する。ほどけながら組成をはじめる予兆に、興奮する。崩壊感覚とともに濃密な圧力で眼が押される。」
──『中平卓馬 一〇〇〇』(一〇〇〇文庫/2013) 五所純子論考より──