カテゴリー別アーカイブ: 002 長谷川踏太

①〈代理店〉


ダン・ワイデン + デビッド・ケネディ

クリエイティブ・エージェンシー
W+Kは、コピーライターのダン・ワイデンとアートディレクターのデビッド・ケネディが、1982年米国ポートランドに設立したクリエイティブ・エージェンシーだ。
個人オーナー企業なのであらゆる決定権を2人がもつ。また60年代ヒッピーカルチャー出身の彼らには、大手代理店とは異なる姿勢がある。たとえ予算10億円の仕事であっても、自分たちがやるべき仕事ではないと判断すれば平気で断る。システムとしても、思想としても、クライアントの言いなりになりにくい組織を確立できているのだ。
W+Kは世界8ケ国に支社を持ち、その多くはNIKEとの長い関係ゆえ、オリンピック、ワールドカップの開催地に設立された。世界最大級のイベントに群がるグローバル企業のなかに、W+Kに発注する好き者がいるのかと思うと、すこし救われる気がしないでもない。
W+Kは、日本の一般的な代理店と比べて、2つの大きな違いがある。
1つは、メディア枠をもたないこと。広告業界において、テレビCMや新聞雑誌広告の「優良枠」を「程よい価格」で押さえていることが代理店の最重要の役割とされている。代理店内部ではクリエイティブを上物(うわもの)と呼び、「土地=広告枠」を売買するだけの「不動産屋」などと自嘲的に称されもする。メディア枠という一種の利権に左右されず、上物だけで勝負するW+Kが、広告代理店と呼ばれるのを嫌うのも納得がいく話だ。
もう1つは、プランナーの仕事を重要視していること。W+Kのプランナーは、依頼主の〝ブランド・ボイス〟を導き出すことに6週間~6ヶ月もの時間をかける。W+Kによる〝ブランド・ボイス〟でもっとも有名なのが、ナイキの“Just Do It.”だろう。これはタグライン(企業やブランドがもつ感情と機能をわかりやすく伝える表現)として長年活用されている。タグラインは(潜在的な)顧客に向けられるだけでない。クライアント自身の啓発としても作用するため、依頼主とW+Kスタッフに〝ブランド・ボイス〟が共有されることで、それはクリエイティブのブレない軸となる。
こうやって見比べてみると、広告代理店とエージェンシーは、「不動産屋」と「大工」くらい別の産業なのかもしれない。

②〈哲学〉

ブランド・ボイス
“Fail Harder”
「激しく失敗しろ」
“Walk in Stupid”
「頭をカラッポにして出社しろ」
これがW+K自身の〝ブランド・ボイス〟だ。
インディペンデントな姿勢をつらぬくW+Kらしい。特に初期のW+Kの表現には、いわゆるビートニク的なコンセプト、ビジュアル、コピーが目立つ。“Just Do It.”がジャック・ケルアックからの引用と言われたら信用してしまいそうだ。
たとえば、実際のジョガーを追ったドキュメンタリー調のCM。ジョン・ジェイによる緻密なユニクロのドキュメンタリーCM。これらは、依頼主の〝ブランド・ボイス〟を真ん中に置きつつ、W+Kの〝ブランド・ボイス〟からも離れない〈哲学〉から生まれた成果だ。
2015年メキシコでおこなわれたW+Kの支社会議で、ワイデン氏はこう切り出した。
「同じ業界のライバルといわれる人々を見渡してみると、嫌になってくる」。
そしてこう提言した。
「僕たちは社会にたいして何かインパクトを与えているのか? 広告という仕事だけにとらわれず、クリエイティビティで世界に対して何ができるのかを考えて欲しい」。


“Fail Harder” W+K本社の壁に、無数のピンで打ち込まれてある文字。スタッフの一人が夜中に作ったそうだ。

③〈ブランディング〉

水先案内人
W+K TokyoはGoogle日本初のCMを手がけた。Googleは、米国では「good company」という評価を得ていたが、日本では「技術的」「冷たい」「とっつきにくい」というイメージが浸透していた。W+K Tokyoはそれをくつがえした。
企業が国外市場に進出する際、W+K Tokyoは水先案内的な役割を担うことが多い。グローバル社会が進んだいま、海外文化の情報はアクセスしやすい。誰でも知った気になれる。しかし、そこに理解はあるのか。文化的理解の深度、それがW+K Tokyoが他社と一線を画しているポイントだと長谷川は自負する。

④〈模倣〉

理解
多くの模倣はアイデアの盗用として表出する。単純にいえば、「見た目」が似ているというものだ。しかし「理解」の模倣は聞いたことがないし、「理解」は模倣できないものではないか。すくなくとも「見た目」のように技術的に模倣できるものではないだろう。
W+K Tokyoは徹底したリサーチ&プランニングを通じて、〝ブランド・ボイス〟を導き出す。そのプロセスで得た「理解」を、ワークフローの全行程の基盤に置いて浸透させる。アウトプットにおのずと、その「理解」があらわれる。
 W+Kのオリジナリティは「理解」にあるのではないか。この製作フローなくして、W+K独自のコンセプト、アイデア、デザインは生まれない。
製作物が既存のものと似ていると気づいた時点で、W+Kは即座にそれを却下するそうだ。世界各国のデザイン・広告コンペの審査員をつとめる上層部がチェック機能を負うとともに、システムとして自立性の高いW+Kは、フロー中途の路線変更のリスクを厭わずにいられる。パクリを生んでしまうことのほうがリスクだ、そう長谷川は言った。

⑤〈産業〉

工数計算
W+Kへのギャランティは工数計算で請求される。どの職種の人間が何日働いたかを計上するのだ。これはひどく珍しい。広告業界はほとんどが予算制だ。
リサーチ&プランニングに重きを置くW+Kでは、プランナーの収益が大きい。しかし日本ではプランニングという仕事が浸透しておらず、プランナーへの対価という考え方自体が理解されにくいと長谷川は言う。(国内外におけるプランニングの定義のちがいについては、tag〈ワークフロー〉を参照)
ちなみに、工数計算は月極請求でおこなわれる。プロジェクトが途中で頓挫しても、それまでの作業分は支払われるというシステムだ。また、制作費にはマージンを上乗せしないため、クライアントからも透明な状態でコストが見え、日本の大手代理店のように、マージン稼ぎのために無理にコストのかかるアイディアを提案することもない。

⑥〈非デザイナー系〉

次のデザイナー
非デザイナーとは「DeSs」の造語だ。
・「直接的にはデザインやアートディレクションをしない人」
・「グラフィック的能力以外でデザインする人」
デザインという言葉が広義に使われる現在、グラフィックデザイナーがデザインという呼称を占有していることにもはや違和感がある。いっそズアンナーなど別の呼び名をつくったほうがデザイン界隈を整理できる気がしつつ、この講義では仮構として、長谷川に〈非デザイナー系〉の役をつとめてもらった。
〈非デザイナー系〉の表現からは、「集合知」「一周した既視感」「ツルっとした仕上がり」といった印象を受けることが多い。確かに、広告にあたらしい表現を必要としていない今の時代にはほどよいクリエイティブなのだろう。また、半歩先を模索するのが表現ではないかと思う反面、長谷川の言う「個人の能力を継承したチームから生まれるアイデア」「『FF』のルールは民意で改良されていく」という言葉にあたらしい表現形態が生まれる可能性も感じる。
DeSs第2回で新たに加えられたtag〈非デザイナー〉については、今後もさまざまな角度から掘り下げていきたい。

⑦〈非デザイナー系〉


「文化屋雑貨店」の商品

長谷川踏太
長谷川の父は文化屋雑貨店のオーナーだ。文化屋雑貨店は2015年、東京中のスタイリストと全国の修学旅行生に惜しまれつつ、40年の歴史に幕を閉じた。
グラフィックデザイナーだった父は、自分よりセンスのないデザイナーが作る商品を指して「それ、デザインされてるな」と言うのが口癖だった。長谷川家において「デザインされてる」は皮肉であり、長谷川は反デザインの家風に育ったのだ。70年代、モダニズムとポストモダンの狭間の時代に、家庭の内外には花柄の炊飯ジャーや目的が崩壊したオブジェが一緒くたとなって混沌としていた。長谷川の父は、時のデザインを睨みつつ、反デザイン的内圧を放出するように商品をつくり、それがひとつのメディアとなるような店を1974年にオープンした。文化屋雑貨店は反デザインの実践として存在したのかもしれない。デザイン地誌的に言えば、当時の原宿は、新宿の文化服装学院と渋谷の桑沢デザイン研究所の中間に位置するちっぽけな町だった。そんな原宿に、グラフィックとファッションを志す若者が集まりはじめたのが80年代。文化屋雑貨店は、モンクベリーズ、セントラルアパート、ラフォーレなどと肩を並べるオピニオンとして育っていた。

⑧〈非デザイナー系〉

原宿を庭がわりに育った長谷川は、1990年、ロンドンのアートスクールに留学する。押しの強い外国人に囲まれた日本人は、さまざまなプロジェクトの現場で隅に追いやられやすいという。長谷川は、すべてを一人でコントロールできるプログラムによる表現方法に可能性を見いだし、Lingoなどのプログラム言語を独学で習得する。在学中に制作したプログラム作品がTOMATOのメンバーの目にとまり、長谷川はTOMATOのオフィスに出入りしはじめる。
卒業後、帰国した長谷川はSonyに入社する。配属されたのは直接的な商品開発ではなく、実験的な研究開発をする部署だった。自分の仕事が数年たっても発表されない不満を抱えていたところに、TOMATOと再会。長谷川はSonyを退社する。ふたたびロンドンに渡ると、「TOMATO所属のアーティスト長谷川踏太」として本格的な活動をはじめる。
2010年の一時帰国中、W+K Tokyoのランチトークに呼ばれた長谷川。その数ヶ月後に突如かかってきた電話で、W+K Tokyo取締役のオファーを受ける。
「ランチを100回重ねても、社長のオファーなんてオレには来ない」(松本、町口覚)
「絵が描けるデザイナー」に代理店やエージェンシーの代表は務まらない。長谷川のような〈非デザイナー系〉こそ、団体の長として適役である。誤解を恐れずにいえば、すでに社会構造として、「絵が描けるデザイナー」の多くは〈非デザイナー系〉の下請け的存在に成り下がった。80年代にイラストレーションブームが去った後、多くのイラストレーターが職能性を省みられることなく「ああ、絵のうまい人ね」程度の扱いを受けたのを思い出す。それと同じ立場に、いまデザイナーが置かれつつあるのではないか。
デザイナーたち自身が「絵がうまい」ことに車座であぐらをかいている間に、グラフィックデザインという「特区」に他業種の職能が介入し、「特区」はその意味を失っていったのだ。
いま、〈非デザイナー系〉の延長上にデザインエンジニアやプログラマーがある。人工知能デザインがaiやinddに実装されたら、グラフィックデザインがデザインの称号を返上することになるだろう。

⑨〈ワークフロー〉

アイデアではなくコンセプト
W+Kが新しい仕事を始めるとき、最初に取りかかるのが、依頼主の〝ブランド・ボイス〟を導き出すこと。〝ブランド・ボイス〟は、「あなたたちは社会からどう見られている(見られたい)か」よりも、「あなたたちが社会をどう見ているか」を探り当てる。
プランナーとCDは依頼主の企業に潜入し、インタビューをおこなう。相手は上層部だけでなく、経理、営業、企画、総合などの部署から、受付、警備、掃除のスタッフにまで至る。またインタビューだけでなく、オフィス環境、ワークフロー、壁に貼られた書類から備品まで、入念に観察する。ある依頼主には、工場の壁に貼られていた標語をヒントに〝ブランドボイス〟を開発したこともある。日本でプランナーというと、おもにマーケッター的な役割と理解されることが多いが、プランナーの成果がクリエイティブの方向性に大きく影響を及ぼすW+Kのワークフローはそれと異なる。
〝ブランド・ボイス〟が決定してから、クリエイティブが動き出す。プランナーがクリエイティブディレクター、アートディレクター、デジタルクリエイティブらと〝ブランド・ボイス〟を共有し、クリエイティブのコンセプトを固める。アイデアではなくコンセプトを固めることが重要だと、長谷川は言う。日本ではつい、コンセプトではなくアイデアを考えがちだが、W+Kはちがう。目新しく魅力的なアイデアであっても、〝ブランド・ボイス〟から導き出されたコンセプトから外れては価値がないのだ。したがって、アートディレクターやデザイナーが具体的なアイデアや形を作っていくのは、コンセプトが決定してからになる。

 

 

⑩〈問題〉


「政治献金使用を禁じる」のスタンプを推した紙幣。(紙幣へのスタンプ押印は違法でない。)
「全米の紙幣にこのスタンプを押したい」ワイデン氏の個人活動である。
 http://www.stampstampede.org/

ベン& ジェリーズ
ベン・コーエンとジェリー・グリーンフィールド、“落ちこぼれ”2人組がポケットにあった5ドルで、通りすがりの「アイスクリームの作り方講習会」を受けた。そこで得た知識で立ち上げたのが、ベン& ジェリーズ。米国最大手のアイスクリームブランドである。
「社会を良くするために何かしたい、しかも楽しい方法で」、という漠然とした考えを持つ二人のヒッピーの若者が、たどり着いたのが「アイスクリームを売ることで社会問題に対する意識を広げる」という方法だった。B&Jのアイスクリームは、材料も、放し飼いされている牛からとれた牛乳や、元囚人が社会復帰のために働いているベーカーリーでつくられたクッキーチャンクなど、社会的観点で良いものを仕入れている。その結果商品が割高になってしまっても、よい農場やよいベーカリーに資本がながれていくことで、ビジネスを行いながら良いサイクルをつくっていくことができ、その結果、この世の中を良くしていくと考えている。
この思想性が広く受け入れられ、現在では世界的な社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)として知られる。
W+K Tokyoが手がけたベン& ジェリーズの最初の仕事は、「選挙に行ってアイスをもらおう」キャンペーンだ。これが見事に成功する。若者の投票率の低さが社会問題化している日本だが、国内のクリエイティブから、軽妙かつシニカルに選挙をイベント化する発想はなかなか出てこない。日本の状況に精通しつつ外的視点をあわせもつ、W+K Tokyoならではだ。
W+Kは、たとえばタバコ産業や東電など、不正企業の仕事を受けないと決めている。ベン&ジェリーズをはじめ、資本主義のサイクルを内側から変える可能性をもつ企業と積極的に関わっている。