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⑥〈非デザイナー系〉

次のデザイナー
非デザイナーとは「DeSs」の造語だ。
・「直接的にはデザインやアートディレクションをしない人」
・「グラフィック的能力以外でデザインする人」
デザインという言葉が広義に使われる現在、グラフィックデザイナーがデザインという呼称を占有していることにもはや違和感がある。いっそズアンナーなど別の呼び名をつくったほうがデザイン界隈を整理できる気がしつつ、この講義では仮構として、長谷川に〈非デザイナー系〉の役をつとめてもらった。
〈非デザイナー系〉の表現からは、「集合知」「一周した既視感」「ツルっとした仕上がり」といった印象を受けることが多い。確かに、広告にあたらしい表現を必要としていない今の時代にはほどよいクリエイティブなのだろう。また、半歩先を模索するのが表現ではないかと思う反面、長谷川の言う「個人の能力を継承したチームから生まれるアイデア」「『FF』のルールは民意で改良されていく」という言葉にあたらしい表現形態が生まれる可能性も感じる。
DeSs第2回で新たに加えられたtag〈非デザイナー〉については、今後もさまざまな角度から掘り下げていきたい。

⑦〈非デザイナー系〉


「文化屋雑貨店」の商品

長谷川踏太
長谷川の父は文化屋雑貨店のオーナーだ。文化屋雑貨店は2015年、東京中のスタイリストと全国の修学旅行生に惜しまれつつ、40年の歴史に幕を閉じた。
グラフィックデザイナーだった父は、自分よりセンスのないデザイナーが作る商品を指して「それ、デザインされてるな」と言うのが口癖だった。長谷川家において「デザインされてる」は皮肉であり、長谷川は反デザインの家風に育ったのだ。70年代、モダニズムとポストモダンの狭間の時代に、家庭の内外には花柄の炊飯ジャーや目的が崩壊したオブジェが一緒くたとなって混沌としていた。長谷川の父は、時のデザインを睨みつつ、反デザイン的内圧を放出するように商品をつくり、それがひとつのメディアとなるような店を1974年にオープンした。文化屋雑貨店は反デザインの実践として存在したのかもしれない。デザイン地誌的に言えば、当時の原宿は、新宿の文化服装学院と渋谷の桑沢デザイン研究所の中間に位置するちっぽけな町だった。そんな原宿に、グラフィックとファッションを志す若者が集まりはじめたのが80年代。文化屋雑貨店は、モンクベリーズ、セントラルアパート、ラフォーレなどと肩を並べるオピニオンとして育っていた。

⑧〈非デザイナー系〉

原宿を庭がわりに育った長谷川は、1990年、ロンドンのアートスクールに留学する。押しの強い外国人に囲まれた日本人は、さまざまなプロジェクトの現場で隅に追いやられやすいという。長谷川は、すべてを一人でコントロールできるプログラムによる表現方法に可能性を見いだし、Lingoなどのプログラム言語を独学で習得する。在学中に制作したプログラム作品がTOMATOのメンバーの目にとまり、長谷川はTOMATOのオフィスに出入りしはじめる。
卒業後、帰国した長谷川はSonyに入社する。配属されたのは直接的な商品開発ではなく、実験的な研究開発をする部署だった。自分の仕事が数年たっても発表されない不満を抱えていたところに、TOMATOと再会。長谷川はSonyを退社する。ふたたびロンドンに渡ると、「TOMATO所属のアーティスト長谷川踏太」として本格的な活動をはじめる。
2010年の一時帰国中、W+K Tokyoのランチトークに呼ばれた長谷川。その数ヶ月後に突如かかってきた電話で、W+K Tokyo取締役のオファーを受ける。
「ランチを100回重ねても、社長のオファーなんてオレには来ない」(松本、町口覚)
「絵が描けるデザイナー」に代理店やエージェンシーの代表は務まらない。長谷川のような〈非デザイナー系〉こそ、団体の長として適役である。誤解を恐れずにいえば、すでに社会構造として、「絵が描けるデザイナー」の多くは〈非デザイナー系〉の下請け的存在に成り下がった。80年代にイラストレーションブームが去った後、多くのイラストレーターが職能性を省みられることなく「ああ、絵のうまい人ね」程度の扱いを受けたのを思い出す。それと同じ立場に、いまデザイナーが置かれつつあるのではないか。
デザイナーたち自身が「絵がうまい」ことに車座であぐらをかいている間に、グラフィックデザインという「特区」に他業種の職能が介入し、「特区」はその意味を失っていったのだ。
いま、〈非デザイナー系〉の延長上にデザインエンジニアやプログラマーがある。人工知能デザインがaiやinddに実装されたら、グラフィックデザインがデザインの称号を返上することになるだろう。

⑨〈ワークフロー〉

アイデアではなくコンセプト
W+Kが新しい仕事を始めるとき、最初に取りかかるのが、依頼主の〝ブランド・ボイス〟を導き出すこと。〝ブランド・ボイス〟は、「あなたたちは社会からどう見られている(見られたい)か」よりも、「あなたたちが社会をどう見ているか」を探り当てる。
プランナーとCDは依頼主の企業に潜入し、インタビューをおこなう。相手は上層部だけでなく、経理、営業、企画、総合などの部署から、受付、警備、掃除のスタッフにまで至る。またインタビューだけでなく、オフィス環境、ワークフロー、壁に貼られた書類から備品まで、入念に観察する。ある依頼主には、工場の壁に貼られていた標語をヒントに〝ブランドボイス〟を開発したこともある。日本でプランナーというと、おもにマーケッター的な役割と理解されることが多いが、プランナーの成果がクリエイティブの方向性に大きく影響を及ぼすW+Kのワークフローはそれと異なる。
〝ブランド・ボイス〟が決定してから、クリエイティブが動き出す。プランナーがクリエイティブディレクター、アートディレクター、デジタルクリエイティブらと〝ブランド・ボイス〟を共有し、クリエイティブのコンセプトを固める。アイデアではなくコンセプトを固めることが重要だと、長谷川は言う。日本ではつい、コンセプトではなくアイデアを考えがちだが、W+Kはちがう。目新しく魅力的なアイデアであっても、〝ブランド・ボイス〟から導き出されたコンセプトから外れては価値がないのだ。したがって、アートディレクターやデザイナーが具体的なアイデアや形を作っていくのは、コンセプトが決定してからになる。

 

 

⑩〈問題〉


「政治献金使用を禁じる」のスタンプを推した紙幣。(紙幣へのスタンプ押印は違法でない。)
「全米の紙幣にこのスタンプを押したい」ワイデン氏の個人活動である。
 http://www.stampstampede.org/

ベン& ジェリーズ
ベン・コーエンとジェリー・グリーンフィールド、“落ちこぼれ”2人組がポケットにあった5ドルで、通りすがりの「アイスクリームの作り方講習会」を受けた。そこで得た知識で立ち上げたのが、ベン& ジェリーズ。米国最大手のアイスクリームブランドである。
「社会を良くするために何かしたい、しかも楽しい方法で」、という漠然とした考えを持つ二人のヒッピーの若者が、たどり着いたのが「アイスクリームを売ることで社会問題に対する意識を広げる」という方法だった。B&Jのアイスクリームは、材料も、放し飼いされている牛からとれた牛乳や、元囚人が社会復帰のために働いているベーカーリーでつくられたクッキーチャンクなど、社会的観点で良いものを仕入れている。その結果商品が割高になってしまっても、よい農場やよいベーカリーに資本がながれていくことで、ビジネスを行いながら良いサイクルをつくっていくことができ、その結果、この世の中を良くしていくと考えている。
この思想性が広く受け入れられ、現在では世界的な社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)として知られる。
W+K Tokyoが手がけたベン& ジェリーズの最初の仕事は、「選挙に行ってアイスをもらおう」キャンペーンだ。これが見事に成功する。若者の投票率の低さが社会問題化している日本だが、国内のクリエイティブから、軽妙かつシニカルに選挙をイベント化する発想はなかなか出てこない。日本の状況に精通しつつ外的視点をあわせもつ、W+K Tokyoならではだ。
W+Kは、たとえばタバコ産業や東電など、不正企業の仕事を受けないと決めている。ベン&ジェリーズをはじめ、資本主義のサイクルを内側から変える可能性をもつ企業と積極的に関わっている。

⑪ 〈ブランディング〉


TYPEプロジェクトのカタログ

TYPE
フォントをモチーフにデザインされた眼鏡シリーズ、TYPE。ロゴや広告やキャンペーンといった一般的な方法でなく、商品開発そのものをブランディングに直結させた試みとして新しい。また、W+Kにおけるプランニングの役割がよくあらわれているケースだろう。
TYPEはかならずしも商品を売ること自体が目的ではない。TYPEプロジェクトのコンセプトは「メガネを選ぶ経験を新しくしたい」。眼鏡に、フォントというキャラクターと、ミディアム/ボールド/ライトという太さのファミリーをあたえる(眼鏡業界初の試みである)。それによって、商品の消費体験自体を媒体として広告化したのだ。
TYPEは海外で販売されていないが、ニューヨークADC賞を受賞するなど、広告として評価されている。
「AppleのUIはブランディング」「広告はプロダクトやサービスに溶けていく(商品の購入方法、支払い方法などの劇的な変化)」と語る長谷川の実践としてわかりやすい。

⑫〈承認フロー〉

ケース・バイ・ケース
W+K Tokyo内部に厳密な承認フローはないが、最終的なチェックを長谷川とパートナーのMike Farrが負っている。依頼主との承認フローはケース・バイ・ケースで探る。
近年のW+K Tokyo独特のユルさやヤワラカさは、長谷川によるところが大きいのではないか。「150km/hの速球投手より135km/hで防御率低い人が好き」「強いトーンによって誤解されるリスクが嫌い」「ここで無理して闘わなくていいじゃんって思う(戦いどころにこだわる)」「100%は目指さない。70%よければいい」といった長谷川の姿勢が反映されているのか。

①〈構成〉

『Daido Moriyama:auto Portrait』 Daido Moriyama(bookshopM/2010年)
『Daido Moriyama:auto Portrait』 Daido Moriyama(bookshopM/2010年)

『Daido Moriyama:auto Portrait』
この写真集を作るにあたって町口は、森山大道から300枚の四つ切りプリントを預かった。町口はすぐに、「写り込み」と「影」の写真で構成することを決めた。次に「ベースフォーマット」を決めた(写真の総点数36枚のうち半分の18枚を「影」とし、それを9枚ずつ縦位置と横位置にする)。写真のセレクトにかかったのは、その後である。——これはある意味で、乱暴な写真構成だ。なぜなら通常は、まずプリント群(本作の場合、300枚のプリント)から使用プリントをセレクトし、その「素材」の点数や内容に合わせて「箱」のデザインを決めていくものだからだ。しかし町口の本の作り方は、『Daido Moriyama:auto Portrait』に限らず、「写真集としてやりたいこと」が先行することが多い。町口は「素材」よりも「箱」、つまり「写真」よりも「写真集」に興味があるのだろう。パティシエが美味しいオレンジピールの作成を目指すなかで、オレンジに精通していき、しだいに興味がオレンジそのもののほうへ移っていく。町口の写真への興味はそういったものかもしれない。

②〈模倣〉

『Sunflower』 Daido Moriyama(bookshopM/2011年)
『Sunflower』 Daido Moriyama(bookshopM/2011年)
『Wild Flowers』Joel Meyerowitz(New York Graphic Society Books / Little, Brown and Company/1983年)

『Sunflower』と『Wild Flowers』
町口の「写真集ベスト3」に、『Wild Flowers』Joel Meyerowitz(New York Graphic Society Books / Little, Brown and Company/1983年)が確実に入ると言う。『Sunflower』はそれの模倣だと町口が明かした。『Sunflower』の写真点数が64枚で構成されていは、『Wild Flowers』の63枚を上回りたかったからだそうだ。町口は「写真集を形作る要素の中で「写真点数が最も重要」だと考える。
しかしながら『Sunflower』は、『Wild Flowers』とは、写真/判型/構成、その何もかもが異なる別物として仕上がった。出版年の83年から現在に至るまで、毎晩、枕元に置かれ続けた(に等しい)『Wild Flowers』は、そう言ってかまわなければ町口のモノだ。写真集を「写真の集合」ではなく「写真集という物体」として捉える町口は、Wild Flowers読者のベスト3に入るだろう。仮に『Sunflower』に模倣と言える要素があったとしても、もはやそれは、町口の夢に出るほどの原風景から参照されたものであり、一般的にはオマージュと呼ばれるものではないだろうか。
『Wild Flowers』に限らず、「ブックショップM」の写真集の作りはすべて欧米の写真集から着想されている。初めてのオナニーがヘルムートニュートンだったという町口は「世界の名書」をリアルタイムに体験することを積み重ねてきた。それが、町口覚のリソースのすべてだと言っても過言ではない。「世界の名書」で育ち「世界の名書」を着想して本を作っているのだ。たまたま見かけた洋書を模倣するのとはまったく異なる作り方だろう。

③〈構成〉

『TERAYAMA DAIDO』Shuji Terayama + Daido Moriyama[英][日](bookshopM/2016年)
『TERAYAMA DAIDO』Shuji Terayama + Daido Moriyama[英][日](bookshopM/2016年)

『TERAYAMA DAIDO』は、『スポーツ版裏町人生』寺山修司(新評社/1982)の全3章28節の中から5つの節を抜粋し、森山大道の写真と組み合わせ再編集されている。『DAZAI DAIDO』と同コンセプト、同フォーマットを用い、[英][日]同じ頁構成なるよう文字組を調整している。
文章と写真の関係というのは不可解で、一枚の写真が文章を読み解く大きな手がかりになることもれば、一行のキャプションが写真をまったく別物にすることもある。雑に言ってよければ、文章は映像を、写真は文章を、それぞれ内包しているため、組み合わせによっては、パンと納豆にもラーメンライスになりえるからだろう。それゆえ、組写真で何かしらを綴ろうとする写真集に文章を並べると悪手で終わることが多い。
『TERAYAMA DAIDO』は、寺山の文章内容に合わせた写真セレクトと構成になっている。森山の本としては実にオーソドックスな構成という印象を受けるが、寺山の文章をこれだけ多用しつつ、写真集としての訂を崩していないことに驚愕する。写真の一点一点が、文章の一行一行が、ラーメンライスのようにしっくりと関係し合い、書籍から見ても写真集から見てもこれまでにないつくりになっている。町口の本を仕上げる能力の高さと汎用性が伺える一冊だ。
表紙には森山大道の最も有名な一枚「三沢の犬」を使用した。